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禅の行い方

実践!禅の行い方

CONTENTS

無理なく禅を実践するために
立禅の行い方
歩行禅の行い方
坐禅の行い方
禅修行の態度
禅を継続させるコツ


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マインドフルネスとは

 

無理なく禅を実践するために

日本では随分以前から、お寺やカルチャーセンターなどさまざまな場所で坐禅会や禅の講座が開催されたりしているので、そういった会に参加することは、禅に興味を持ち、禅の精神に触れ、禅を実践するきっかけとして素晴らしいチャンスになると思います。

そんなきっかけを経て、日々の生活の中で禅を実践してこそ、その本質に触れ、幸せに生きるための大いなる助けとなります。禅は「自分自身が自分自身でする」ものなのです。

ただ、坐って行う坐禅ばかりが禅だと思い込んでいると、脚が組めなかったり、長時間坐るのが難しかったりして継続が嫌になり、結果的に禅的な生活から遠ざかってしまうことも少なくありません。

このページでは、どんな方でも気軽に禅を継続していただけるよう、立禅に始まり、その感覚のまま歩行禅に移行する、初心者向けの禅修行の流れを作りました。

とは言っても、この流れにとらわれてしまっても、これまた禅的な実践から遠ざかってしまいますので、このページをひとつのヒント程度にとらえ、無理のない形で自由にクリエイティブに禅修行を日々の生活に取り入れていっていただければと思います。そして願わくは、皆さんの日々の生活丸ごと全体が禅の修行になっていきますように。

 

立禅の行い方

立禅(りつぜん)とは、立位の姿勢で禅を行じる修行法です。禅を行じるというのは、その現場で姿勢をととのえ(調身)、呼吸をととのえ(調息)、心をととのえる(調心)ことを工夫することを指します。

禅といえば、坐禅を思い浮かべる方が少なくありませんが、立禅は東洋全般でとても大切にされていて、ヨガの世界では、あらゆるポーズの中で最も大切とされる「山のポーズ」として、気功や太極拳の世界では、最も基本的な型「站樁功(たんとうこう)」として親しまれています。

坐禅の場合、正しく坐ることがなかなか難しく、骨盤が後ろに倒れたり、緊張で気が滞ったり、上半身と下半身のつながりがおそろかになったりして、難易度が高いので、超初心者にはまず立禅がお勧めです。立った姿勢の方が、調身、調息、調心のコツをつかみやすいからです。

立禅の修行が進んでくると、身心を総動員してただ立っていることの心地よさを感じる力が育まれ、内側から自然と生じる「自己をととのえようとする作用」によって、身体、呼吸、心が自然にととのってきます。この自ずからなる調身、調息、調心をしみじみ愉しむことができるということが最も大切なのです。

立禅の行い方

①姿勢を作る
上のイラストに従って、基本的な姿勢を作ります。

②姿勢を保つ
10分程度そのままの姿勢で、姿勢、呼吸、心の変化をただ見守ります。弱い所やつらい所が気になってくるかも知れませんが、それを含めてただ見守ります。

③微調整しながら姿勢を保つ
必要があれば、局所的な負担を全身でカバーしてあげるような気持ちで姿勢を微調整し、引き続き姿勢、呼吸、心の変化を見守り続けます。思いが浮かんできても、ただそれに気づいて、手放していきます。
このようにして立った状態での調身、調息、調心を工夫していきます。

 

歩行禅の行い方

立禅を通して身がととのい、全身の機能が統合されて気の流れがととのい、呼吸や心がととのってきたら、そのままゆっくり坐禅に移っても構いませんが、立位のまま歩行禅に移行するのもお勧めです。

歩行禅とは、歩くことを通して禅を修行することです。通常の動作(歩行)は、目的(地)ばかりを意識して、ついつい先(結果)を急いでしまいがちですが、歩行禅はただ歩くことに専念して、一歩一歩を丁寧に踏み締めて歩くことそれ自体を大切にします。どこかにたどり着くことではなく、いかに歩いているかが大事なのです。

ここでは、曹洞宗の中で行われている歩く瞑想「経行(きんひん)」の行い方をご紹介したいと思います。

歩行禅の行い方

①姿勢を作る
威厳を保ちながらもくつろいだ状態で立ちます。
手は叉手(しゃしゅ)と言って、まず左手の親指を中にして軽く握り、右手を外側から覆うように重ねて胸の前に置き、肩の力を抜きます。

②呼吸を意識する
立禅の時と同じような、コントロールしないゆったりとした呼吸を行い、その自然な呼吸の流れを意識します。

③歩行を始める
自然な呼吸を続けながら、ひと呼吸(吸って吐く)の間に、自分の足の長さの半分くらいの歩幅で、すり足するように一歩ずつ踏み出していきます。立禅のような軸の通った姿勢を保ちながら、できるだけまっすぐに5分程度歩き、身体、呼吸、心の状態をただ感じ続けます。思いが浮かんできたらそれに気づいて手放します。
このようにして、歩く状態での調身、調息、調心を工夫します。

 

坐禅の行い方

立禅や歩行禅を通して、足裏から頭頂までのつながりを丁寧に感じることができ、体の軸や呼吸のととのいを感じることができてきたら、そのままの感覚を大切に保ちながら坐禅を行ってみましょう。坐った状態での調身、調息、調心の工夫です。

坐禅の正式な坐り方は結跏趺坐(けっかふざ)といって、両脚をしっかり組む坐り方ですが、この坐法にこだわることで下半身の気の巡りが悪くなったり、全身に力みが生じるようでしたら無理に行う必要はありません。

片脚だけを組む半跏趺坐(はんかふざ)にするか、それでも緊張が生じるようならイスに坐っても構いません。脚の組み方よりも、立禅や歩行禅のときのように、全身が一つにまとまっていることや、体幹が力みのない安定性を保って立ち上がっていることが最も大切です。

最初は10分程度を目安にしますが、無理なようなら1分から始めても構いませんし、10分を過ぎても坐っていたければ、その時の気分で延長しても構いません。坐る時間の長さは、自分の体や心と相談して決めてください。短くても毎日続けることが肝要です。

座禅の行い方

①脚を組む
結跏趺坐は、右足を左ももの上に乗せてから、左足を右ももの上に乗せ、なるべく付け根に近い部分に足を引き寄せます。
半跏趺坐は、右足を左ももの下に入れ、左足を右ももの上に乗せます。
どちらも辛かったり、安定しない場合は、正坐やイスに坐っても構いません。

②手を安定させる
悟りの円満さを象徴する法界定印(ほっかいじょういん)という手の形を作ります。
禅では、右手の指の上に左手の指を重ね、左右の親指を軽く触れ合わせて楕円を作り、足の上に置いて下腹に軽く引き寄せて安定させます。この形を崩さないように、心を両手に通わせ続けます。居眠りや考え事をするとこの手の形が崩れます。

③姿勢をととのえる
手や脚の形以上に大切なのが体幹の状態です。立禅や歩行禅と同じように垂直に楽に柔らかく立っている状態を保ちながら、筋肉の緊張で姿勢を保持するのではなく、骨格のバランスで坐り、深いところからくつろげている状態を作ります。
上半身を前後左右にゆっくりと動かして重心を定め、姿勢を安定させます。

④呼吸をととのえる
まずは深呼吸を数回行い、それによって身心のこわばりを解きほぐしたら、あとは内側から湧き起こる自然な呼吸の流れに任せておきます。出ていく息は「捧げもの」、入ってくる息は「贈りもの」、息と息の間は「呼吸のふるさと(そこからやってきて、そこへ帰っていくところ)」として、丁寧に大切に味わいます。

⑤心をととのえる
軽く顎を引き、舌先を上あごに軽く添え、半眼で視線を斜め下に落としたら、未来のゴールを目指すことをやめ、眼・耳・鼻・舌・身・脳から緊張を手放し、今この瞬間にやってくる光や音や身体感覚などの感覚刺激をただそのまま迎え入れていきます。やってくる感覚刺激に言葉や概念をかぶせないように心がけます。

 

禅修行の態度

坐禅を始めて間もない方は「今日はうまく坐れた」とか「今日は雑念が多かった」など、頭の中で一定の基準を作り上げ、その理想状態と比較して修行のクオリティを勝手に自分で評価して、それに一喜一憂してしまうことが少なくありません。

しかし、禅の修行とは、いつでも未知の探究なのです。
どの瞬間もいまだ出あったことのないまっさらな初体験の瞬間です。川は常に流れ変化し続けていますから、厳密に言えば2度と同じ川を渡ることはできません。それと同じように、2度と同じ坐禅をすることはできません。毎回が人生で一回きりの最初で最後の坐禅を坐ることになりますから、いいとか悪いとかの評価を超えた極めて厳粛なものなのです。そういう坐禅を坐らなければなりません。

坐禅に限らず、どのような活動であっても、その時一回きりの初めての未知の取り組みなのです。そのような態度で、坐り、立ち、歩き、横になるといった、さまざまな日常の活動において、みずみずしく本当の自己を表現していくのが、禅修行なのです。

禅のメンタル

 

禅を継続させるコツ

これまで、言葉では表せない禅修行の世界を、あえて言葉で表現してきました。様々な言葉にとらわれてしまうと、「うまくいかない」とか「難しい」という評価が心に芽生え、行き詰まりをかんじて禅の修行を断念したくなることがあるかも知れません。

禅の修行につきもののそんな困難を乗り切る上で、そして修行の過程で生まれてくる様々な疑問を解決していく上で、指導者や修行仲間と一緒に禅修行をすることをお勧めします。

一人で禅修行を続けていると、どうしても特定の観念にとらわれてしまったり、視野が狭くなってしまうことがありますが、仲間や指導者と接することで、そのとらわれから抜け出したり、広い視野を取り戻せたりするからです。

とは言っても、修行はあくまでも自分の足で自分の道を歩くことなのですから、依存的な関係に陥いらないように気をつける必要があります。

自分にとって望ましい修行の環境を作っていくことも修行の大切な一部です。無理のない形で日常生活の全体が禅修行の場となるよう工夫していってください。そして、どこであれ今自分がいるところを「我が道場」と心得て、生き生きと自己を究明し磨いていってください。

※関連ページ 「禅とは」

 

文責/監修:藤田一照(ふじたいっしょう)

1954年に愛媛県生まれ、灘高校、東京大学を経て、同大学院時代に坐禅に出会い深く傾倒。
28歳で博士課程を中退し禅道場に入山。29歳で得度。33歳で渡米し、以来17年半にわたってマサチューセッツ州ヴァレー禅堂で坐禅を指導。

2005年に帰国、2010年より2018年まで曹洞宗国際センター所長。
Starbucks、Facebook、Salesforceなどアメリカの大手企業でも坐禅を指導する。

Facebook上で「松籟学舎一照塾」を主宰。著書・共著・訳書多数。

藤田一照 公式サイト:http://fujitaissho.info/

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